がん個別化医療を支援するシミュレーションアプリが登場

乳がんの腫瘍の進行を予測するために, イタリアの Potenza にある initiatives for Bio-Materials Behavior (iBMB Srls) と呼ばれるスピンオフ企業が, 医療従事者が術前化学療法の前に腫瘍病変の体積と治療効果をより適切に監視できるようにするためのシミュレーションアプリケーションを開発しました.


Dixita Patel 著
2024年9月

世界中で, 女性に最も多く見られるがんの1つが乳がんであり, 現在利用可能ながん治療は改善されてきましたが, 乳がんの正確な予後を判断することは依然として困難です. 患者ケアの改善に役立つ可能性があるアプローチの1つが, 予測腫瘍学です. このアプローチは, 従来の癌治療 (図1) からの転換であり, 患者固有のデータをより正確かつ個別化された方法で考慮することで, 腫瘍専門医が, 特定の治療に対する腫瘍の反応をより深く理解できるようにします.

図1. 患者のスキャン画像を確認する従来の医療アプローチ.

計算モデリング (図2) と組み合わせることで, 予測腫瘍学はアルゴリズムと機械学習技術を用いて患者の治療結果を予測することができます. 例えば, がんの増殖の背後にある生物学的および物理的メカニズム, そして治療反応を説明する数式を用いて, 腫瘍の進行の決定論的モデルを作成することができます (参考文献1). このように数式を活用している企業のひとつが, バジリカータ大学のスピンオフである initiatives for Bio-Materials Behavior (iBMB Srls) です. iBMB Srls は COMSOL Multiphysics® ソフトウェアを用いて, 腫瘍の挙動を表す数学モデルに基づくシミュレーションアプリ CancerMate を開発しました. 腫瘍専門医は, このアプリを使用することで, 乳がん, 特に術前補助療法 LYNPARZA® を受けた非転移性トリプルネガティブ乳がんの固形腫瘍の進行をより適切にモニタリングおよび評価できます. このアプリの結果に基づき, 腫瘍専門医は治療の有効性を最適化し, 副作用を軽減するために治療方針を柔軟に調整することが可能になります.

“現行の治療法は, 個人化と精度が不足しています” と, iBMB Srls の CEO である Gianpaolo Ruocco 氏は述べています. “CancerMate を使用すれば, 医師は仮想シナリオを実行できるため, 患者の負担と治療費を軽減できます.”

図2. 臨床の DICOM (Digital Imaging and Communications in Medicine) 画像スタックから取得した女性の乳房の3D表現.

仮想バイオマーカーによる腫瘍体積の判定

CancerMate アプリの本来の目的は, 患者が腫瘍サイズを縮小する術前化学療法を受ける前に, 病変体積を定量化することです. CancerMate の Mark 1 バージョンは, LYNPARZA® (オラパリブ) という薬剤で治療された非転移性トリプルネガティブ乳がん患者の臨床データに対して検証されました (参考文献 2). 臨床試験では17人の患者を対象とした後ろ向きコホートが含まれ, 実験データは, 乳がんの代謝反応の予測, 腫瘍の進行の仮想化, 個々の患者に対する治療の動態の予測のために, コンピューター内での反応拡散モデル (偏微分方程式 (PDE) に基づく) のテストに使用されました.

この臨床実験より, チームは, 腫瘍の治療への反応の予測に必要な, 主要な乳がんバイオマーカーを特定することができました. 臨床現場において, バイオマーカーは血液などの体液や組織検査から測定される患者の健康状態の指標です. 研究期間中, 免疫応答を特徴付ける腫瘍浸潤リンパ球 (TILs) と, 腫瘍の悪性度を特徴付けるタンパク質 Ki67 を経時的に綿密にモニタリングしました. CancerMate アプリでは, 仮想バイオマーカーが, 生物学的プロセスまたは疾患特性を表すデジタルまたは計算指標としてモデルに統合され, 従来の臨床バイオマーカーを補完または予測することを目的としています (参考文献 2).

臨床実験では, 従来のバイオマーカーである Ki67 および TIL と相関する, 個別化悪性度 (rc) および個別化薬力学的効率 (ϵPD) のバイオマーカーが数理モデルに組み込まれました. これらのバイオマーカーは, 実験中にオラパリブの有効性を定量化するのに役立ちました. 臨床試験に関する研究論文で説明されているように, “モデルは, 予め仮定を一切置くことなく, オラパリブの有効薬力学的効率が, 基礎 TILs レベルと腫瘍体積 V, または代謝腫瘍体積 SUVmax 増殖率に強く依存することを示しました. V または SUVmax は, 本症例では Ki67 発現と TIL 数に直接依存する数学的パラメーターで表されました.” (参考文献 1)

iBMB のチームは, 数学モデルを説明し, 実験から得られた予測値と実測値を視覚的に比較するために, Gompertz 曲線を用いて腫瘍の成長をモデル化し, 特にオラパリブ投与前後の段階をモデル化しました (図3). この曲線は, 3つの異なる癌増殖段階における腫瘍体積 V の経時変化 (t) を表しています. これらの3つの段階は, 自由増殖, 増殖抑制, そして制御不能増殖です (図 3 ではそれぞれ ”第 I 段階”, “第 II 段階”, “第 III 段階”と表記されています).

図 3. 腫瘍が体内を進行する過程の図. 増殖段階 I ~ III における代謝腫瘍体積 (SUVmax) と時間 (t) の関係を示しています. 画像は, 参考文献 3 より引用. Creative Commons Attribution 4.0 International License に基づいて提供. 画像には変更は加えられていません.

第 I 段階 (自由増殖) は, 未知の開始点 (ti) から始まり, 腫瘍の診断が下されるまで (t = 0) 続きます. この時点で, 診断画像が撮影され, 腫瘍専門医が患者に必要な治療法を決定します. その後, 第 II 段階 (増殖抑制) は治療開始を表し, 治療介入による腫瘍の部分的な退縮を観察します. 最後に, 第 III 段階 (制御不能増殖) は, 治療終了後または耐性発現後に腫瘍のさらなる増殖や代謝活性の増加がみられるかどうかを観察する期間です. この段階は, さらなる経過観察や追加治療が必要かどうかを判断するのに役立ちます. 検証済みの数理モデルは CancerMate に統合され, rc と ϵPD が主要な仮想バイオマーカーとして使用されています.

CancerMate: 個別化腫瘍学への飛躍

Ruocco 氏とチームは, COMSOL Multiphysics の方程式ベースのモデリング機能を使用して CancerMate を開発しました. 腫瘍の成長と治療反応を表す PDE (輸送現象に基づく) を統合し, がん細胞の増殖と術前化学療法の効果をシミュレーションするために使用できるようになりました. このアプリは, COMSOL Multiphysics のアプリケーションビルダーを使用して作成され, ボタンをクリックするだけでアプリをコンパイルできるアドオン製品である COMSOL Compiler™ を使用してスタンドアロンアプリに変換されました (図 4). CancerMate をスタンドアロンアプリに変換することで, Ruocco 氏は臨床医にアプリを簡単に配布できるようになりました. 臨床医は仮想シナリオを実行し, がんの進行に関する詳細情報をデスクトップで直接受け取ることができるようになりました.

図4. コンパイルされた CancerMate アプリを開いた際に表示されるスプラッシュスクリーン.

アプリのインターフェースには, 患者データの入力, 数値結果の表示, 予測される病変体積と薬物濃度積分の進捗状況をグラフによって可視化する機能が含まれています (図 5). 患者固有のバイオマーカーの入力フィールドは腫瘍学的予測の出発点であり, 最初の入力フィールドは腫瘍病変の開始時間の推定値です. その他の入力フィールドには, 全観察期間 (使用する治療法によって異なります), 患者の体重, 体表面積, ベースライン Ki67 値と TIL 値が含まれます. さらに, 投与量とベースラインのクレアチニン指標の入力フィールドも含まれており, これらは薬力学 (薬物が腫瘍と戦う方法) と薬物動態 (身体機能によって身体が薬物を処分する方法) に直接関係します.

図5. CancerMate Mark 1 アプリのユーザーインターフェース. 入力オプションと, 基盤となる COMSOL モデルに基づく計算結果の例を表示されています.

アプリは, 数理モデルを使用して, SUVmax, TIL, Ki67 などのベースライン測定値を含む臨床データを統合します. 仮想バイオマーカー rc と εPD はモデルの予測に役立ち, アプリはこれらのバイオマーカーを, 腫瘍の成長と治療に対する反応を経時的に記述する一連の方程式に適用します. 計算後, t = 0 および t = Δts における予測された臨床病変値の数値結果が表示され, 予測された癌病変の体積と積分薬物濃度の推移がグラフで示されます. COMSOL Multiphysics に組み込まれた複雑な偏微分方程式を解く機能を活用することで, CancerMate は臨床医に患者の治療反応を効率的にモニタリングする方法を提供します.

腫瘍学における CancerMate とバーチャルヒューマンツインの未来

CancerMate の使いやすさとシミュレーション機能は, 腫瘍医や製薬研究者にとって個別化癌治療における有用なツールとなります. CancerMate の現行バージョンは, 臨床現場での導入準備が整っており, 特にトリプルネガティブ乳がんの治療や LYNPARZA® 療法に適しています. Ruocco 氏は, データセットがさらに利用可能になれば, 基盤となるモデルをトレーニングして, 乳がんのさまざまなサブタイプと治療法間のより多くの相関関係をカバーできるようになると述べています. また, 現段階では乳がんに特化していますが, iBMB のチームはアプリの基盤技術を拡張し, 他の種類のがんや医薬品にも焦点を当てる予定です.

iBMB は, アプリの利用範囲を拡大するげるだけでなく, バーチャルヒューマンツイン (virtual human twins, VHT) 技術と併用できるツールとして CancerMate を推進することを目指しています. VHT は, がん疾患の状態を再現するツインを作成することを目的としており, 精度の向上や個別化がん医療の発展に貢献する可能性があります. Ruocco 氏によると, VHT のひとつの活用方法として, 外科医が装着できるヘッドマウントディスプレイを通じて投影することが考えられます (図6). このようなヘッドセットを使用すれば, 外科医は仮想現実の中で手術部位を確認できます. 例えば, 乳房の病変が骨に近すぎる場合などを視覚的に把握し, その結果に応じて治療計画を調整することが可能になります. “VHT は, 個別化かつ精密化するための手法であり, 従来の価値観を変えるものです” と Ruocco 氏は述べています.

図6. 手術中に VR を使用する医師.

予測腫瘍学が進化するにつれて, CancerMate のようなツールは, 臨床医が腫瘍病変の体積を評価およびモニタリングするのを支援することで, 個別化医療を形作ることができるでしょう. Ruocco 氏は, “患者は必要以上に長く治療されることがよくありますが, これは in silico ツールによってこの状態を改善することができます” と説明しています.

参考文献

  1. CFDNOVA, Google Sites; https://cfdnova.unibas.it
  2. G. Ruocco, User Manual for CancerMate — Mark 1, Apr. 2024.
  3. F. Schettini et al., "Computational Reactive–Diffusive Modeling for Stratification and Prognosis Determination of Patients with Breast Cancer Receiving Olaparib," Scientific Reports, July 2023; https://doi.org/10.1038/s41598-023-38760-z

LYNPARZA は AstraZeneca AB の登録商標です.